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肉食、菜食

一週間ほど前に肉食をやめた。

そのずっと前にチベット医に豚肉、魚類は今の自分に合わないからと絶つことを進められ、かなり控えていた。
牛、羊等の赤肉類、鶏はOKと言われていた。でも自分が買うような鶏は鈍感な自分にも劣悪な一生が分かってしまうぐらい味がひどいため、フライドチキンなど調味料、添加物で肉の味をごまかしたものばかり買っていた。 
パーティーの前日、3kgほどの鶏の股をさばいている時、弾性が無くゼリーの様な肉は、ナイフを使わなくとも手ではがせた。それだけでもオエッときていたが、時たま折れている骨を見ると、何人もの作業員がケンタッキーに出荷する鳥達をサッカーボールみたいに蹴飛ばしている映像がよみがえり、パーティーの晩、好物だったから揚げに伸ばす手は、ためらいがちだった。
そんなことがあってから、スーパーの肉売り場で目が向くのは子羊よりも料理の幅の広い牛肉になった。
そんなある日、マイミクのNさん経由で屠殺の現状を知り、肉類全般食べなくなった。
http://saisyoku.com/pics_killed.htm
http://ascension.jp/site/link222.html

俺は肉食そのものに反対ではない。菜食主義者たちの言う、動物がかわいそうだ!って主張にも、自分で動物を殺す事を拒否する肉食たちと同じ短絡さ、薄っぺらさを感じる。

菜食一本だからって、動物に被害が無いなんて嘘だ。 人間が狩猟採集民だった頃は、動物を殺していた、だけど、いや、だからこそ、その土地の生態系を根絶やしにすることは無かった。
農地は本々あった自然環境を壊して出来る。肉を食ってきた人達が何千、何万年も次世代に繋いできた土地は、大小の動物、木の実、根類、葉野菜、虫達、蜂蜜の他、生活に必要な物のほとんどを提供してきた。
それを潰して出来た農地の作物を食いながら、自分には業が無いとどうして言えよう。
今の時代、農薬のおかげで、多くの農地では、鳥の鳴く声は聞こえず、虫も、作物以外の植物も見あたらない。遺伝子操作で作られた作物がもっと強力な毒に耐えれるのは、本当に飢える国の人たちにとってプラスなのだろうか?
だからといって肉食がこれと関係ないわけではない。肉は1kgに対しその何倍もの作物を消費する、動物達を育てるための土地もいる。大半が恐ろしいほど狭い空間で一生を終えるにしても、土地がいる。



奪い、奪われ、与え、与えられ生命は存在する。だから感謝、敬意を学べる。
この事実に顔をしかめ、それを都合のいい妄想で囲む人々には、肉食、菜食ときれいな境界線をひく事は出来ない。
重要なのは物事をありのままに認識すること、そっから全てが始まる。行動に善悪など無いし、無理に自分を変える必要なども無い。



自分にとって敬意とは、肉に対してなら、自分が殺され、食われる時には喜んで身をささげよう。本当は、今自分の前に横たわる死骸、肉片が自分なのだと認識する事だと思う。

俺はそんな事、毎度毎度出来るほど、出来た人間ではないから肉を食べるのは難しい。

まして敬意など一切存在しない環境で育てられ、殺された動物の肉は、この業に加担するのが怖く、そしてあまりにもむごくて食べられない。

感受性の強い人たちは、肉から直接、断末魔からくる負のエネルギーを感じ取れる。
俺にそんな芸当はまだ出来ないけど、屠殺の映像からはビンビン感じる。



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